「もう十分」まで付き合える贅沢
味わう好きな曲を、何度も繰り返して聴く。気になっていた本を、時計を気にせず読む。いつかやろうと思っていた趣味に、まとまった時間を使う。
飽きるまで何かを味わえるのは、ちょっと贅沢なことだと思う。それだけ好きなものがあって、その好きに付き合う時間や余裕がある。途中で切り上げることばかりの毎日には、なかなか持てない時間でもある。
もちろん、飽きるまで食べるというのは、お腹が苦しくなるまで詰め込む意味ではない。明日の自分を困らせる買い方や、生活を削って続けることとも違う。自分の「好き」に、納得できるところまで付き合ってみる。 その余裕を、贅沢と呼びたい。
一度に全部を味わい切る必要もない。何日かに分けて楽しんでも、途中で休んでもいい。もう少し続けたいと思えるところで、次の日に取っておく楽しみ方だってある。
飽きたことは、残念なことだけじゃない
手放すあんなに好きだったものが、今日はそれほど欲しくない。前なら残念に感じた変化も、「十分に楽しめたのかもしれない」と受け止めると、少し違って見える。
欲しかったときには気になって仕方がなかったものが、味わったあとには「また機会があれば」で済む。その変化には、何かに追いかけられなくなったような、静かな心地よさがある。
ただ、満足すれば必ず執着が消える、という話でもない。知るほど好きになるものもあるし、楽しんだあとに別の疑問が出てくることもある。飽きたかどうかを、満足の合否にしなくていい。
満たされたあとの静けさを、すぐ次の欲しいもので埋めなくてもいい。 今日はこれで十分だった。そう思えるなら、そのまま落ち着いて過ごす時間にも、ちゃんと価値がある。
「まだ欲しい」に心が動く幸せ
期待一方で、欲しいと思える気持ちも大切だ。週末にあの料理を食べたい。読んでいる本の続きが気になる。次の休みには、あれを試してみたい。
まだ手にしていないのに、すでに少し楽しい。調べたり、予定を考えたり、どれにしようか迷ったりする。その途中の時間まで含めて、ひとつの楽しみになっている。
何かが欲しくて、食べたくて、やってみたくて心が動いているとき、人はそのことに没頭している。そんな時間を、幸福そのものだと感じることがある。手に入れたあとの満足だけが、楽しみの全部ではないのだと思う。
ただ、欲しいものを全部かなえなくてもいい。予算や体調に合わせて待つことも、今あるものでもう一度楽しむこともできる。楽しみを残しておくことは、我慢だけではなく、未来の自分への小さな贈り物にもなる。
毎日、半分ずつでなくていい
行き来「もう十分」と「まだ欲しい」は、いつも半分ずつに整えなくてもいいのかもしれない。今日は満ち足りていて、明日は何かが楽しみになる。しばらく何も欲しくない時期があっても、その静けさを失敗にしない。
十分に味わって、満足して、少し休む。そのうち、また楽しみなものが見つかる。二つの気持ちは、対立するものというより、行き来できるものなのだと思う。
これは、幸せの正解を決める話ではない。ただ、自分の気持ちをどちらか一方に寄せすぎず、今どこにいるのかを眺めてみる、という個人的な幸福観だ。
「もう十分」の日は落ち着きを、「まだ欲しい」の日はワクワクを楽しむ。 よく味わい、少し休み、また何かを楽しみにする。その行き来の中にも、幸せはあるのだと思う。
別の言葉から、生き方を考えてみる
More info変わっていくことや、一つの場所にとどまることを、言葉の意味から考える記事です。

