Oasisで、前へ進む力をいちばんまっすぐ歌う曲は「Live Forever」だと思う。
明るい未来を約束する歌ではない。迷いは残る。それでも人生を投げ出さない。自分には、葛藤の中で生を肯定し続けるための歌として聴こえる。
Oasis「Live Forever」はどんな曲?
「Live Forever」は、Oasisのデビュー・アルバム『Definitely Maybe』に収録された曲です。アルバムは1994年8月に発売されました。「Live Forever」は同じ年にシングルとしても発表されています。
Oasis初期の曲には、閉塞感から外へ出ようとする勢いがある。「Live Forever」は、その勢いを大きくひらいたメロディに乗せた曲だと自分は思う。
虚無への反論として聴こえる理由
「Live Forever」は、90年代のグランジにあった虚無感と対照的な曲としてよく語られる。Noel Gallagher自身も、当時は自分を肯定し、永遠に生きてやるという感覚があったと振り返っています。
ただ、これをNirvanaへの直接の反論と決めつける必要はない。Nirvanaを含む当時の音楽には、怒りも絶望も、生き延びようとする気持ちもあった。
この曲が選んだのは、「それでも生きる」と言い返すための別の音だ。若いうちに燃え尽きることをロマンにする言葉に、この曲は別の答えを返す。失敗しても、年を重ねても、まだ先はある。その肯定がOasisらしい。
ニーチェの永劫回帰を重ねると
ニーチェの永劫回帰は、同じ人生が何度でも繰り返されると仮定する考え方だ。そのときに問われるのは、その人生を引き受けられるか、ということだ。解釈には議論がある。ここでは、生を肯定できるかを考える補助線として受け取っている。
「Live Forever」を聴くと、この問いを思い出す。つらい時期もある。やり直したい失敗もある。それでも、これで生きていてよかったと思える時間が一度でもあったなら、人生をまるごと否定しきれない。
一度でも本当に幸せな瞬間があったなら、人生は簡単に捨てる側へは行かない。 これは曲がニーチェを歌っているという意味ではない。自分がこの曲から受け取る、生を引き受ける方向の力だ。
輪廻を「まだ続く」という比喩として考える
仏教でいう輪廻は、生と死を繰り返すあり方です。そこには苦しみから解放されるという考えもある。だから、輪廻を「何度でも生まれ変われるから大丈夫」という単純な前向きさとして扱うのは、仏教の説明ではない。
それでも自分は、この曲を聴くと輪のイメージを別の比喩として借りたくなる。最悪な日があっても、人生はその場で終わらない。明日が来る。季節が変わる。人は別の自分として、また歩き始める。
生まれ変わりを、人生の中で何度もやり直す感覚として考えるなら、先は完全には閉じない。
強さは、迷いがないことではない
「Live Forever」は、無敵の人の歌には聞こえない。胸を張るメロディの裏には、今の自分で本当にいいのかという揺れがある。だから大きな言葉が空虚な宣言にならない。
強さは、迷わないことではない。苦しいことや、格好悪い葛藤があっても、人生に手を伸ばすことだ。迷いながらでも、人生の側に立ち続ける。 自分がこの曲からもらうのは、その姿勢である。
HereNatureの結論
永遠に生きるとは、死なないという話ではない。
悪い日も、迷う日もある。それでも人生を途中で終わったものにしない。 「Live Forever」は、そう決めるための歌として自分には鳴っている。




